子ども食堂と飲食店運営の考察ブログ

給食会社で人材育成を担当している、3児の父です。子ども食堂を月に1回、神奈川県の川崎市で運営しています。子ども食堂の運営、飲食店での独立を考察しつつ、食についてお伝えしてまいります。

子ども食堂を始めた背景、経緯、きっかけ その④ 節目の35歳

いつもご覧いただきありがとうございます。

今回は子ども食堂を始めた背景、経緯、きっかけのその④をお伝えしていきます。

その①幼少期はこちらです。

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その②中学、高校時代はこちらです。

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その③浅はかだった20代はこちらです。

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今回は節目の35歳~40歳の現在の内容です。

節目の35歳

今の給食会社

精進料理屋さんでは3年ほどお仕事させていただきました。

30代になり、家庭も持ち、親にさせていただき、少々安定も必要だと思うようになり、お仕事を変えました。

でも、食の仕事しかできませんので、給食の会社に就職しました。

20代で行った精進料理教室やその他の取り組みも、またいつかは形にしたいとは考えつつ、サラリーマンしてました。

介護施設での厨房運営をしている会社で、現場で3年間、本社に異動して商品開発や研修など、いろいろなお仕事を経験させていただいております。

今思うと30代前半は落ち着いた感じで、家庭菜園をしつつ穏やかに過ごしていた気がします。

子どもと一緒に野菜作って、子供と野菜の両方の成長を見て、収穫して一緒に食べて、仕事も順調でした。

論語

32歳、33歳、34歳、と過ぎていく。

私の尊敬する経営者の方が、孔子の論語が好きで、時間もありましたので私も勉強のために少し読むようになったんです。

子曰く、吾十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順う(したがう)。

七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(こえず) 。

 

15歳で学問を志し、30歳で自分の進む道を決め、40歳で迷うことがなくなり、50歳で使命に目覚め、60歳で人の意見を素直に受け入れられるようになり、70歳で自分の思い通りに行動しても人の道から外れることはなくなった。

「三十にして立つ」については、食に関わる仕事をしようと決めていましたから、これは大丈夫だろうと自分勝手に解釈。

「食の大切さを次の世代に繋げる」と口癖のように言っていましたので、進む道は20代のうちに、浅はかではありましたが決めていました。

「四十にして惑わず」はどうだろうか、このままだったら惑いまくってしまうのではないか。

のんびりしている場合じゃない!

「何かしたい」、「何をするか」、自然体で心にしっくりくること、人生80年の時代ですから、残りの40年~50年を誇りをもって生き抜いたと言えることを見つけて行動に移していきたいと思うようになりました。

恩返しの形

自然体でいること、やっぱり食のこと。

なんで食なのか。

幼少期、周りの人に食を通して助けてもらった経験がありました。

真人君家にはしょっちゅうご飯をごちそうになりました。

おばちゃんの生姜焼きが美味しかった。

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西君のお母さんはタッパーにちらし寿司持って、わざわざうちまで自転車で持ってきてくれました。

お隣のおじちゃんおばちゃんの家にお邪魔して、よく夜ご飯を一緒に食べました。

みんなが僕を、僕と母を支えてくれました。

母も苦労の中、愛情持って私を育ててくれました。

女で一つで。

私には真似できません。

今の世の中でも、お母さん一人で子どもを育てている世帯は多くいます。

何かしてあげたい。

上から目線ではなく、私が幼少期にいただいた、心優しいおせっかいを、同じようにしたいと思いました

頑張るお母さんを支えることで、子どもが地域で成長できる環境を守りたい。

いただいた恩を、お返しすることができることをしたい。

そんなときに見つけたのが、子ども食堂の取り組みでした。

子ども食堂を実施し、40歳までに食を通した地域への関わりの形を作ることを目標に、進んでいこうと決めたのが35歳ころです。

 

次回へ続く‥

1.40歳の現在

 

↓私たちが運営している子ども食堂です。

毎月第3水曜日に 実施しています。

 

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