
幼少期の思い出
幼少期、裕福ではなかったです。
母と子の二人暮らし、両親は自分が3歳の頃に離婚しました。
小学校~20歳まで稲城市で生活していました。
梨がおいしい、大好きな街。
女手一つで自分のことを育ててくれた母、今でも息子のことを気にかけてくれる母、
母のことをすごく尊敬しています。
自分一人で子どもを育てることができるか?、無理だと思います。
心が持たない。
母は一人で父親と母親の役割を全うしていました。
無欲で自分のためには何も買わず、化粧もせずに毎日仕事と家事。
今はその頃の母と同じくらいの年になり、苦労の大変さを理解できますが、
当時は子ども。
他の家庭と比較して、うらやましく思うこともありました。
当時は近所の方々にとても支えられていたと思います。
友達の真人君のおじいちゃん、おばあちゃんには大変お世話になり、
ご飯をご馳走になったり、休みの日には入り浸りだったり、でもいつでも笑顔で
迎えてくれました。
また、友達の西君のお母さんは料理上手で、何か作ってはタッパーで家まで持って
来てくれて、すごく美味しかったなぁと、今でも忘れられません。
お隣さんもうちのことを心配してくださり、よく夕ご飯をご馳走になっていました。
地域の方々、友達のお母さん、地域コミュニティが自然とあり、みんなが少しずつ
おせっかいをする、だから僕はこうして生かしていただくことができたのだと感謝して
います。
子ども食堂は恩返しの形
この年になり、あの当時のお父さん、お母さんと同じことを僕はできているのか、
まだまだできていないと思います。
優しさの押し付けではなく、そうしてあげたいと思う善意からの行動。
自分への見返りなど微塵もない、なんとか力になりたいの思い。
自分はどうなのか、まだまだですが、近づきたいと思います。
35歳くらいからその思いが強くなり、今、各地域で始まりだした子ども食堂に参加
させていただいています。
参加なさっている方々はみな、誰かに何かしてあげたい、おせっかいの気持ちが強い、
様々な専門家の心優しい方々です。
いろいろ勉強させていただくことができ、感謝しています。
現状の自分にできる、いただいた恩の返し方が、子ども食堂の運営を継続させること
です。
私たちが運営している子ども食堂です。毎月第3水曜日に 実施しています。
さらに発展が必要と感じます。
あの頃の僕に届くように。
今はまだ届くことができていないと感じます。
きっかけは父の思い
子ども食堂の継続と共に、最近自分の主体性をもっと前面に出し、形にしていく欲
が出てきました。
きっかけは父の死です。
風の便りで父の死を知りました。
父は再婚せず、ずっと一人だったとのことでした。
一人、コツコツと貯めた大金を、どこで何をしているかわからない息子に残して
くれました。
いただいたお金は自分のためには使えません。
恐れ多くて自分のためには無理です。
貯めて使わないことも違うと思います。
何か、世の中がより良い方向へ進む使い方を形にしたい。
使い方が、父に面と向かって話し、きっと納得してもらえるだろうことに対して
使わせていただこうと思います。
飲食店の独立がその形です。
食を通して幼少期、助けていただいた記憶が強く残っているから。
今ある飲食店の形ではなく、地域の子供たちに僕がいただいた恩を返せるように
したい。
だいぶボヤっとしているので、もっと脳みそから湯気がでるまで考えます。
事業計画
事業計画を今年中に作り上げたいと思います。
出来上がったらブログにアップします。
皆さんからのコメントもいただけたら幸いです。